競馬 - オグリキャップ ラストレース 有馬記念 1990 [03:32]
競馬 - オグリキャップ ラストレース 有馬記念 1990
Tags: 競馬, 名馬, 武豊, オグリキャップ, ラストレース, 有馬記念, 名レース, 感動レース, 引退レース, Horse, racing
1995 4歳牝馬特別(G2) ライデンリーダー 笠松からの挑戦 [01:44]
1995年は「交流元年」と呼ばれ、中央競馬のGI競走が地方所属馬にも開放され、従来、中央に移籍しなければ不可能だったGIへの出走が、指定された中央の競走で指定着順以内に入った場合に限り、地方所属のまま可能となった。これを受けて荒川は、ライデンリーダーを桜花賞へのトライアル競走・報知杯4歳牝馬特別へ登録した。しかしこの時点で荒川は、ライデンリーダーが「あまり強い馬だとは」感じておらず、「たまたまレースがあった。使ってみようか」という程度の意欲であった。また安藤もその能力と見通しについては、「過去に自分が騎乗した3頭の傑出馬(オグリキャップ、フェートノーザン、マックスフリート)には及ばない馬だが、同じような印象を抱いていたオグリローマンが(中央移籍後に)桜花賞を勝ったので、まずは桜花賞へのチャンスが取れれば」という程度の見解であった。 3月19日、4歳牝馬特別(京都競馬場)に出走。初めての芝コースでの出走であり、「芝には馬を細く作る」という荒川の考えから、当日は前走から14kg減と大幅な絞り込みが行われていた。単勝オッズは3.5倍の2番人気。3着以内が桜花賞出走権を得る条件だった。スタートが切られると、道中で追走に手間取る素振りを見せ、安藤は常に手綱を押し続けた。最終コーナーでも進出する他馬から後れを取り、直線入り口では馬群の中に留まっていた。しかし直線半ばから大外に持ち出して抜け出すと、先頭を行くエイユーギャルを一気に交わし、3馬身半の差をつけて勝利。デビュー以来無敗の11連勝目を飾った。この時関西テレビで実況アナウンスを務めた杉本清は、「抜けたー、ライデン! ......これは強い、恐れ入った。なんとなんとライデンリーダー1着! ......なんとまあ強い! ......いやー、これは凄い!!」と、所々で絶句しながらその勝利 ...
Tags: 1995年, 4歳牝馬特別, ライデンリーダー, Raiden, Leader, 笠松競馬, 報知杯フィリーズレビュー, 阪神4歳牝馬特別, 桜花賞トライアル, 中山競馬場, Fillies, Revue, Japanese, 1000, Guineas, Trial, Grade2, Turf, 1400m
1993 京都大賞典(G2) メジロマックイーン レコード走破 芦毛の名馬 [02:55]
京都大賞典では、2分22秒7という当時のコースレコードで、レガシーワールドに3馬身半差をつけ優勝。この結果、獲得賞金が史上初の10億円突破となった。しかし、天皇賞(秋)4日前に左前脚部繋靱帯炎を発症、そのまま引退・種牡馬入りが発表され、約1ヶ月後の11月21日、京都競馬場で引退式が行われた。 「無尽蔵」とも言われた豊富なスタミナから、ハイペースの長距離戦でも先行押し切りというレーススタイルで、一般的にステイヤー(長距離得意の馬)と認識されており、「史上最強のステイヤー」とも評される。しかし5歳以降に手綱を執った武豊は、「短距離でも充分に強く、ただ距離が持つだけ」「マイルのGIレースでも勝負になった」と発言している。また、一般に見られる例とは逆に、加齢と共にレースでの落ち着きを失っていったといい、1993年春の天皇賞前には「今のマックイーンに3200mは長すぎます」とも語っていた。 1991年春の天皇賞を勝った時点では、武はその能力について、「平成三強」と呼ばれたオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン (いずれも武が騎乗した)と比較する段階ではないと語っていた。その後、7歳の大阪杯で初めて「三強のような凄味が出てきた」と評し、結果的にラストランとなった京都大賞典の後には「今さら僕がどうのこうの言うレベルじゃない。本当に凄い馬ですよ」と絶賛した。当時、7歳は一般に衰えが見られる年齢とされており、その成長曲線の特殊性が指摘されている。
Tags: 1993年, 京都大賞典, メジロマックイーン, wins:, Mejiro, mcqueen, レガシーワールド, 2nd:, Legacy, World, 農林水産省賞典京都大賞典, 天皇賞前哨戦, 淀, 京都競馬場, Tenno, Sho, Autumn, Or, Japan, Cup, Step, Race, G
1989 マイルチャンピオンシップ(G1) オグリキャップ vs バンブーメモリー [01:58]
マイルチャンピオンシップでは第3コーナーで5番手から馬群の外を通って前方への進出を試みたが進出のペースが遅く、さらに第4コーナーでは進路を確保できない状況に陥ったが、直線で進路を確保してから猛烈な勢いで加速し、先に抜け出したバンブーメモリーとほぼ同時にゴールした。写真判定の結果オグリキャップがハナ差で先にゴールしていると判定され、優勝が決定した。 ダンシングキャップ産駒の多くは気性が荒かったが、オグリキャップは現3歳時に調教のために騎乗した河内洋と岡部幸雄がともに古馬のように落ち着いていると評するなど、落ち着いた性格の持ち主であった。オグリキャップの落ち着きは競馬場でも発揮され、パドックで観客の歓声を浴びても動じることがなく、ゲートでは落ち着き過ぎてスタートが遅れることがあるほどであった。オグリキャップと対戦した競走馬の関係者からも、オグリキャップの精神面を評価する声が多く挙がっている。オグリキャップに携わった者からは学習能力の高さなど、賢さ・利口さを指摘する声も多い。
Tags: 1989年, マイルチャンピオンシップ, オグリキャップ, Oguri, Cap, バンブーメモリー, Bamboo, Memory, マイルCS, 秋のマイル王者, 淀, 京都競馬場, Mile, Championship, Grade1, Turf, 1600m, 3years, Old, And, Up, 南井克
1990 有馬記念(G1) オグリキャップ 感動のラストラン [02:47]
ジャパンカップの結果を受けてオグリキャップはこのまま引退すべきとの声が多く上がり、馬主の近藤に宛てた脅迫状(出走を取りやめなければ近藤の自宅および競馬場に爆弾を仕掛けるという内容)が日本中央競馬会に届く事態にまで発展したが、陣営は引退レースとして有馬記念への出走を決定した。レースでは序盤は6番手につけて第3コーナーから馬群の外を通って前方への進出を開始し、直線で先頭に立って優勝した。限界説が有力に唱えられていたオグリキャップの優勝は「奇跡の復活」「感動のラストラン」と呼ばれ、レース後、スタンド前でウイニングランを行った際には中山競馬場にいた観衆から「オグリコール」が起こった。 大川慶次郎は、有馬記念はレースの流れが非常に遅く推移し、優勝タイムが同じ日に同じ条件(芝2500m)で行われた条件戦よりも遅い「お粗末な内容」であったとし、多くの出走馬が折り合いを欠く中、オグリキャップはキャリアが豊富であったためにどんな展開でもこなせたことをオグリキャップの勝因に挙げている。 またライターの関口隆哉も、「レース展開、出走馬たちのレベル、当日の状態など、すべてのファクターがオグリキャップ有利に働いた」としている。 岡部幸雄は「極端なスローペースが良かった」としつつ、「スローに耐えて折り合うのは大変」「ある意味で有馬記念は過酷なペースだった」とし、「ピタッと折り合える忍耐強さを最も備えていたのがオグリキャップだった」と評した。 なお、野平祐二はレース前の段階で有馬記念がゆったりした流れになれば本質的にマイラーであるオグリキャップの雪辱は可能と予測していた。
Tags: 1990年, 有馬記念, オグリキャップ, Oguri, Cap, メジロライアン, Mejiro, Ryan, 秋のグランプリホース, 暮れ, 中山競馬場, Arima, Kinen, Grand, Prix, Grade1, Turf, 2500m, 3years, Old, And, Up, 武豊騎手, 年度代表馬, Ho